哲学

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フォイエルバッハ全集第二巻 船山信一訳 福村出版刊

中期哲学論集 哲学の改革のための予備的提言将来の哲学の根本命題肉体と霊魂、肉と精神の二元論に抗して  「哲学の端初」にかんして - 一八四一年 - フォイエルバッハは哲学を認識論であると考えており、認識論の基礎は感覚論であると考えている。だから、哲学の端初は対象で言えば個別存在であり、認識で言えばそれを最初に受容する感覚である。哲学史上、哲学は対象を持たない、哲学は存在を対象としない、この点で哲学は経験諸科学と区別される、と考えられていた。哲学はこのような特殊な学問であるために、哲学とは何か、哲学の対象は何か、さらには哲学の端初が何であるかが哲学自身の課題になっていた。フォイエルバッハはこの問題をまったく捕らえておらず、この問題を単純に否定しており、哲学史上の最も重要な課題を回避ないし解消している。フォイエルバッハは哲学の端初について次の様に述べている。 「それ故に、非対象的なものを対象的にし、とらえることができないものをとらえることができるようにすること、すなわち或るものを生活の享受の客体から思想上の事物いいかえれば知の対象へ高めること--このことは絶対的な...
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フォイエルバッハ全集第一巻 船山信一訳 福村出版刊

初期哲学論集 理性にかんして  - それの単一性・一般性・無制限性  - 哲学博士の学位を取得するための論文 - 一八二八年 -  平凡な経験的意識によってヘーゲル哲学を通俗化し、非哲学化した論文である。この著作を研究しても哲学的な知に近づく事はできない。  フォイエルバッハによってヘーゲルを理解することはできない。ヘーゲルを理解すればフォイエルバッハの通俗性と非哲学性を理解することができる。  唯物論者はフォイエルバッハを高く評価している。だから、この著作の具体的批判はしないが、こうした注意をしておくことに意義があるだろう。具体的な批判はヘーゲル理解によってのみできる。フォイエルバッハを批判することによってフォイエルバッハを理解することはできない。 へーゲルあての書簡  - アンスパッハにて - 一八二八年十一月二十二日 - (p83)  「私は身勝手にも貴下に私の論文〔『理性にかんして--それの単一性・一般性・無制限性』〕を御送りします。」  とある。フォイエルバッハは『理性にかんして--それの単一性・一般性・無制限性』をヘーゲルに送った。ヘーゲルは、自分の哲学...
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哲学断想

「哲学断想」は、愛すべきディドロに倣ったタイトルである。 ディドロはタイトルに「コノ魚ハミンナガ食ベルモノデハナイ」と書き添えている。 二十一世紀の魚は、みんなが食べるものにしたい。 タトエ食ベニクイ魚デアルトシテモ      001     エンゲルスはフォイエルバッハ論において「すべての哲学の、特に近世の哲学の根本問題は、思惟と存在の関係である」、「思惟と存在、精神と自然はどういう関係にあるのかという、哲学全体の最高の問い」、とした上で、この問いにどう答えたかに応じて哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した、としている。  哲学の根本問題の規定である。  レーニンは「唯物論と経験批判論」においてこれをさらに普遍化して、「認識論がつかうことのできる概念のうちで、存在と思考、物質と感覚、物理的なものと心理的なものという概念よりも広い概念はない。」として、哲学上の最も抽象的な普遍的な問題は存在と思惟の関係である、と結論している。  これはエンゲルスにとってもレーニンにとっても、後の唯物論者にとっても揺るぎない確信である。  ところが、唯物論哲学の立場におい...
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