文学

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17. 彼岸過迄 1

 「作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めてゐない。実をいふと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しば々々耳にするネオ浪漫派の作家では猶更ない。自分は是等の主義を高く標榜して路傍の人の注意を惹く程に、自分の作物が固定した色に染附けられてゐるといふ自信を持ち得ぬものである。又そんな自信を不必要とするものである。・・・ 東京大阪を通じて計算すると、吾朝日新聞の購読者は実に何十万といふ多数に上つてゐる。其の内で自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、其の何人かの大部分は恐らく文壇の裏通りも露路も覗いた経験はあるまい。全くたゞの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつゝ穏当に生息してゐる丈だらうと思ふ。自分は是等の教育ある且尋常なる士人の前にわが作物を公にし得る自分を幸福と信じてゐる。」  この「彼岸過迄に就て」には「門」にたどりついた漱石の力が感じられる。漱石は抽象的な主義主張で述べることができないほど具体的で豊富な内容を描写する能力を蓄積した。漱石はこれまでの作品の系列の帰結としてこの作品の社会的位置を強く意識して 「面白いもの...
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1. 吾輩は猫である

 「吾輩は猫である」、「坊つちやん」、「草枕」の初期三作品は社会的に孤立したインテリ生活を他に対する優位として肯定的に描写している。しかし、この自己肯定的な精神を否定し後期の作品に受け継がれる発展的な内容がこれらの作品の真の内容であり意義をなしている。現状以上の地位を得る可能性を持ちながら自ら貧しい生活を選択したとする高踏的な精神、出世主義と対立する余裕が漱石の精神の出発点であり保守的な側面である。漱石の課題はこの高踏派的、余裕派的な精神を否定することである。  吾輩と車屋の黒の対立に漱石の精神に内在する本質的な矛盾が反映している。車屋の黒には腕力と勇気がある。吾輩は腕力も勇気もないが知恵と余裕があると考えている。しかし度胸のないところに現実的な知恵はない。度胸のない者には度胸がないことを弁明するための知恵が発達する。それは精神における無能の発展である。吾輩には自分に鼠を取る能力や度胸がないことを自分の弱点として認識する能力がない。実践能力を持つ黒は吾輩と違った独自の余裕を持っており、黒の観点からは吾輩の精神は余裕ではなく無能とか臆病とか小心と規定される。  苦沙弥の家で交わされる...
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1. 概観

 漱石の作品の研究はすでに大量に蓄積されており、重箱の隅をつつくような資料漁りや外国作品との比較といった外的な広がりに解決策を求める成熟した段階に到達している。研究の内容が漱石の作品から離れていくことは研究方法自体がもともと漱石の作品内容と関係のなかったことの現象的な証明である。実際漱石の作品分析はまだ始まってさえいない段階にあり作品の内容は手つかずの状態で残されている。  手つかずの内容とは、漱石の作品の歴史的、社会的内容である。漱石は、日本が生み出した、日本に特有の意識を批判的に解明した点で日本的な作家であった。彼は明治時代に形成されたインテリないし小市民的精神の弱点の克服を意識的に課題としていた。彼は、日本の社会に蔓延する堅固な小市民根性に対して厳しい批判意識をはっきり表明している。しかし、漱石の他の作家と違った独自性、彼の批判意識の高度さと厳しさは、彼の作品の出発点である社会的批判意識や苛立ちを批判の対象としたことである。小市民根性に対する自己の批判意識自体が小市民根性に対して無力であり、小市民根性に侵されていることを理解したことが漱石の到達点であり、彼が偉大である所以である...
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石川啄木

日記 明治35年  36年  37年  38年  39年(前半)  39年(後半) 40年  41年  42年  43年  44年  45年 書簡 明治35年  36年  37年  38年  39年  40年  41年  42年  43年  44年  45年 評論 明治40年「林中書」 明治41年「卓上一枝」 明治42年「汗にぬれつゝ」  「一日中の楽しき時刻」  「百回通信」  「弓町より」 「きれぎれに心に浮んだ感じと回想」 「文学と政治」 明治43年「一年間の回顧」 「巻煙草」 「性急な思想」 「硝子窓」 「我が最近の興味」 「時代閉塞の現状」 小説 詩 歌 ※引用は、筑摩書房1967年版、啄木全集 による
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夏目漱石論 目次

 ここに掲載する文章は、1995年3月に出版した『漱石作品論』の概観として書いたもので、ニフティの文学フォーラム、13番会議室にアップしたものに、多少手を加えたものです。分析抜きに結論をならべた概観ですので分かりにくい部分も多かろうと思います。  この概観と『漱石作品論』の文章がどんな関係にあるかを示す実例として、概観の終りに、『漱石作品論』のなかの『彼岸過迄』の全文を掲載しました。これは、漱石の作品のなかでも特にひろく読まれている『こころ』を理解する鍵となる作品です。『彼岸過迄』と『行人』は、漱石が何を描こうとしているのか分かりにくい作品ですが、これらの作品は漱石が新たな飛躍をするために、心血を注いだ作品であって、これらの作品の理解なしには、『こころ』の内容にはまったく届きません。この作品から、『行人』、『こころ』へと非常な勢いで内容が深化していきます。 出版案内『漱石作品論』上・下 赤嶺幹雄著 概観 吾輩は猫である 坊ちやん 草枕 野分 『野分』ノート(一) 『野分』ノート(二~三) 『野分』ノート(四~八) 『野分』ノート(九~...
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田山花袋の見た二葉亭四迷

 定本 花袋全集 第十五巻 (昭和十二年一月初版)より  ◆インキ壺   二葉亭四迷君を思ふ(p37)  二葉亭四迷君は明治文壇の恩人であるのは言ふまでもない。私などは明治二十二年、『浮雲』の出た頃から、常にその偉才に驚かされて居た。高瀬文淵君には、私は二十五年頃いろいろお世話になつたが、その文淵君の口から私は二葉亭氏の偉い人格であるといふことを常に聞いた。『君、長谷川君には是非一度逢つて置きたまへ、日本には實にめづらしい人物だ。」かう言つて、文淵君は、『浮雲」第三編の『都の花』に載せられたあたりを、節のついたおもしろい調子で読んで聞かせて呉れた。三馬一九、でなければ春水近松などを読んでゐた私の耳に、ロシアのゴンチヤロフ張の細かい心理描写がいかに奇異にひゞいて聞えたか、それは今更言はないでも分ると思ふ。  『あひびき」の翻訳は二十二年の『国民の友』に二號にわたつて出た。あの細かい天然の描写、私等は解らずなりにも、かうした新らしい文章があるかと思うて胸を躍らした。『あゝ秋だ! 誰だか向うを通ると見えて、空車の音が虚空にひゞき渡つた……」其一節が故郷の田舎の楢林の多い野に、或は東京...
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15. 「浮雲」理解のために 2

   3. つゆの話  全宇宙はすべてが相互連関による統一体を形づくっている。我々の意識はその連関を理解するために、連関を切り離し様々の段階をなすカテゴリーによって再び合成する。この論理的認識方法の中で、もっとも広くしかも誤って使用されているのが因果関係のカテゴリーである。日常的に使われているこのカテゴリーの限界を克服することは意外に発しい。   「朝になったからあかるくなった」、とか「夜になったから暗くなった」  というように、朝と明るさ、夜と暗さを一因果関係で結ぶことの不自然はすぐ分かる。朝は明るさの原因ではない。地球の自転によって太陽光嫁があたりはじめるのが朝であり、明るくなるという現象である。これは比較的単純な現象であるから、同語反覆から正しい因果関係へ移行するのも簡単である。しかし現象が複雑になると、不自然さもなくなる。  「寒いなあ」「冬だからな」  「よく降るなあ」「つゆだからな」  「長い顔だなあ」「馬だからな」  冬だから寒いのではない。つゆによって雨が降るのではない。馬であることは顔が長いことの原因ではない。この二つの要因だけで正しく言えば、寒くなる季...
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14. 「浮雲」理解のために 1

   1.「非職」の契機について 「浮雲」」の文三が役所を首になったことでお政にもお勢にも見捨てられ孤立するのはごく自然な現象と思われる。批評家が言っているように、上司にゴマをするのが嫌だなどと青くさいことを言っているからそんなことになるのだと思われる。このような現象と現象に対するこのような感情=理解は日本に特有な自然的現象である。日本の社会に就業機会が少なく官員になることが安定した生活として非常に大きな力をもっていたことがその大きな要因の一つである。このような環境の中では、「非職」は恋愛をも、人生全体をも一挙に破滅に導くのが必然的傾向となる。この必然が「奴隷的な」「犬のように尾をふる」行動と感情を強制する圧力としてすべての人々に重くのしかかっている。終身雇用のおかげで、四迷の時代よりはるかに発展した資本主義下でも同様の感情を生み出す必然は生きており、その感情の理論化である批評が多く生れている。  だから資本主義の発展が就業機会を多くし労働者の移動が自由になれば、文三の苦しみの資本主義内部での解決になり、実際この種の苦しみは大いに緩和される。始めから純粋な資本主義から出発し、労働力...
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13. 平凡 3

 自然主義作家は性欲の露骨な描写が市場として解放されたことによって、それまでの現友社によるギルド的文壇支配から解放されて新たな地位を得ることになった。作家にとってまったく現実的、社会的解放である。昇や葉山が出世するのと同じ社会的成功としての実質杓解放である。この解放によって得た文壇的地位によって、昇にお勢がひきよせられるように、彼らにも先生を慕う文壇的お勢が現れ、文壇的成功にふさわしい恋愛を経験しその経験がまた作品の材料になるという、自分の足を食って生きるタコのような結構な循環が生まれる。社会的本質を描くことが出来ず、インテリのみじめな性欲しか描けないことが社会的需要に偶然合致したためにこの無力な描写を後に自然主義的方法として理論化し文壇に一勢力を築くことで、自然主義者の恥さらしな人生は芸術家の人生と目されるようになってしまった。彼らは性欲の吐露という新分野を文学の世界に開いたことによって、四迷や一葉、漱石がとりくんでいた社会的本質の研究、描写という困難な芸術的課題からも同時に解放され、文学史上にこれら天才達の流れとは対立的な文壇的潮流を形成して自己満足することになったのである。  ...
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12. 平凡 2

 九回での自然主義批判は一度だけで後が続かなかった。十回から十九回までポチの話で時間つなぎをしている。四迷の経験にもどづいた「とっておきの材料」をやむをえず使ったもので「平凡」の主題である自然主義批判は含まれていない。しかし自然主義作家と同じように身近な経験を切り取って描写したポチの話には自然主義に対立するリアリズムの特徴があらわれている。このような時間つなぎの短い文章にさへ反映する社会的本質について多少抽象的になるが今後の問題意識を喚起するために簡単に触れておこう。  ポチの部分は誰でも四迷の巨匠としての手腕を認め高く評価している。例えば小田切氏の次のような評価には誰も異存のないところであろう。  ポチという犬のことを描いた部分での、純粋無垢な愛情への溺没的な表現(これは利害関係によって傷つけられている明治社会の人間関係へのはげしい批判なのだ)…(「二葉亭四迷」岩波新書195頁)  「ポチ」は純粋無垢という言葉に全く相応しいが、実はこれも明治社会の利害関係による複雑な媒介項を経た上での獲得物であり、この感情の意味を説明することは意外に難しい。本来は体系的な理論の中ではじめて説明...
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