漱石の作品の研究はすでに大量に蓄積されており、重箱の隅をつつくような資料漁りや外国作品との比較といった外的な広がりに解決策を求める成熟した段階に到達している。研究の内容が漱石の作品から離れていくことは研究方法自体がもともと漱石の作品内容と関係のなかったことの現象的な証明である。実際漱石の作品分析はまだ始まってさえいない段階にあり作品の内容は手つかずの状態で残されている。
手つかずの内容とは、漱石の作品の歴史的、社会的内容である。漱石は、日本が生み出した、日本に特有の意識を批判的に解明した点で日本的な作家であった。彼は明治時代に形成されたインテリないし小市民的精神の弱点の克服を意識的に課題としていた。彼は、日本の社会に蔓延する堅固な小市民根性に対して厳しい批判意識をはっきり表明している。しかし、漱石の他の作家と違った独自性、彼の批判意識の高度さと厳しさは、彼の作品の出発点である社会的批判意識や苛立ちを批判の対象としたことである。小市民根性に対する自己の批判意識自体が小市民根性に対して無力であり、小市民根性に侵されていることを理解したことが漱石の到達点であり、彼が偉大である所以であるとともに、彼が理解されない所以でもある。
日本社会に普遍的な小市民根性とそれに対する現象的な批判意識は同一本質内部の対立であり、それが日本社会に広汎にはびこっている。それは、日本史の特徴として、ブルジョアの発達が送れており、それに対する小市民的立場からする道徳的な批判が現象的には現実性を持つからである。現実的根拠をもって発展したこの小市民的な価値観による道徳的批判意識を克服するには、現実の必然性に対する科学的な認識を獲得する必要があるが、それがどのように獲得されるかを描いたのが漱石である。
『吾輩は猫である』にはブルジョア的な成功を拒否するインテリが基本的には肯定的に描かれている。エリートインテリでありながら出世を拒否すること、あるいは出世の道から落ちこぼれることが漱石の精神の選択であり、その主体性を貧しい生活のなかでの精神的余裕として描いている。しかし、この作品に内在する課題は出世を拒否する者の精神の弱点を克服することである。漱石はすでにこの作品で、余裕のある精神を、社会の他の人間との関係において相対化する冷静な眼を持っている。俗な出世主義のはびこる世界では出世主義に対立する小市民根性も発達する。出世主義者に対する表面的な批判意識は出世主義に対する負け惜しみに過ぎず、出世主義的な価値観の一形態であることを理解しなければ、本当の精神的な力ないし余裕は生まれない。余裕の中に、この余裕を否定する要素がすでに描かれていなければ漱石の作品の魅力はないし、その後の作品の発展もない。したがってまたこの側面をを理解しないかぎり、漱石の作品の意味を理解することはできない。
『坊つちやん』には俗物出世主義者に対立する正直で一本気な青年が描かれている。しかし漱石は出世主義者に対する道徳的な批判意識が出世主義者に対して無力であることを理解しており、その結果坊ちゃんは滑稽に描かれている。彼が愛すべき実直さは意図の善良さ、主観に悪意がないこと以上を意味しないのであって、彼が憎む悪に対して無力であることが精神の本質的特徴となり、その観点からすれば、彼の愛すべき特質は自己満足という否定的側面を持つことになる。それが坊ちゃんの滑稽さの意味である。
『草枕』にはこのような小市民世界の対立形態を回避して芸術の世界に逃避する精神が描かれている。逃避は無力の意識化の結果であり、逃避を肯定する精神は小市民根性の本質である社会的な無力を徹底することである。その徹底において、この作品にもその限界が描写されており、それがこの作品の俗臭を消して、余裕派的な高尚な世界の印象を与えている。
初期三作品の基本的特徴は社会からの選択的な、主体的な孤立と、その肯定である。漱石は『野分』で初期三作品のこの傍観者的弱点を克服すべく社会に対して積極的に働きかける決意を表明している。それは決意の表明であり実質的に働きかけることではない。インテリとして社会に働きかけるには社会の必然性に対する知識や実践的な訓練が必要である。しかし、これまでの作品にではこの側面が欠けているのが、基本的特徴である。漱石の課題としうる社会的認識とは、漱石が描いた批判的インテリが社会に働きかける力量を持たないことの必然性の認識である。『野分』の段階ではまだ自己の無力を認識できず、孤立状態が社会的な批判意識の結果であると逆転して意識している。このような逆立ちも自己認識の出発点として必然的である。このような社会的批判意識が孤立状態の反映であることを認識することが精神の現実化であり足で立つことである。そして、そのような意識は、社会に積極的に働きかける決意の展開によってのみ獲得できる。
『虞美人草』はこの逆立ちを厳しく認識する契機となった作品である。『虞美人草』では道徳的な批判意識が具体的な人間関係に対して真理として適用され、勝利する過程が描かれている。このような非現実的なつくりものは文学作品として失敗する運命にある。漱石はこれまでの作品の総括としてこの作品を描くことで道徳的な精神に内在する本質的な矛盾を認識し、解決すべき課題とした。漱石は初期作品に内在していた道徳性の矛盾をこの作品で展開したのち、この矛盾の解決を課題としつづけ、後期の作品でこの矛盾を解決している。
『三四郎』が青春小説とされるのは三四郎が、非現実的な、若者らしい幻想を持ち、社会に対して影響力を持たない青年として登場するからである。三四郎の無知と素朴さは社会を無前提な認識対象とする意義を持っており、漱石は自分の意識をそのようなものとして再検討しようとしている。社会を批判対象とするのではなく、これから認識すべき無前提な対象として描いたことがこの作品の巨大な意義であり、それまでの作品とはちがった新鮮な印象を与える所以である。三四郎の素朴さや無知には、これまでの漱石の思想を否定するという内容豊かな白紙状態が投影されている。三四郎は激動する社会から取り残されていることを意識している。このような意識において初めてブルジョア的な成功の世界に生きる美禰子との主体的で発展的な分離が生じる。分離は思想の成果や結果ではなく、思想的発展の出発点となる。インテリにとって上流世界に生きる美禰子に対する批判意識や憧れを解消し、美禰子と分離した自己の必然性に一致した精神を獲得することは非常に困難である。美禰子の世界に憧れながらその世界に入ることができない場合には美禰子の世界に対するみじめな批判意識がうまれるが、この作品には、惨めさも決意もない。漱石は、初期作品の覚悟や諦観を経由したことによって、この分離を余裕をもってロマンチックに描いている。三四郎ではなく、美禰子の方が自分から離れていくことを、なんらの苦悩もなく容認し、受け入れている。
『それから』では社会的に孤立したインテリの批判意識がブルジョアに対して無力であるばかりでなく一般に社会的な無知、無力を意味することが明らかにされている。初期作品にくらべると、漱石の批判意識がブルジョア的な出世主義から分離しているのが、「三四郎」や「それから」によくでている。孤立した世界で生まれる精神は社会と交わるときに無力を証明されいっそう孤立化する。インテリの意識の内部だけにあったブルジョア的出世主義にとの対立的関係を描写する内容から排除した結果、代助はブルジョア世界から排除され孤立した世界に閉じ籠もる人物として描かれている。代助の破滅的な精神は孤立した世界で生じる精神が社会的な高度の批判意識であるという幻想を持っていた初期作品からの飛躍的な発展を示している。代助は社会的に孤立した現実により一致した精神を獲得したことにおいて実践的にも明確な孤立過程をたどることになる。精神も実践もより現実化している。「それから」は、漱石が本格的な小説を書き始めたと感じさせる作品である。
『門』にはブルジョア世界を排除された夫婦の静かな生活が描かれている。ブルジョア世界から生活的にも精神的にも排除され分離した成果はブルジョア世界に対する道徳的な批判意識を失ったことである。その現実的な精神によって夫婦だけの限定された世界の平安を獲得している。「猫」の世界の貧しさや余裕は幻想であり、漱石本来の精神的余裕はこのような生活とこのような形式でのみ現実的ありうる。それは自己の現実を逆立ちして反映した積極的な意識の幻想を廃棄した者の幸福である。しかしこの世界には孤立を確定し自覚した者に特有の淋しさという高度の矛盾が生じる。幻想を廃棄して孤立を意識化することは社会に対する積極的な精神の形成を意味しない。それは歴史的にはるかに遠い課題である。漱石はインテリ的な限界を越えた積極的な精神を描写できないことをこの作品ではっきり意識し、これまでに描いてきたインテリ的な精神の本質を描写することを自己の歴史的な課題とする決意をしている。ブルジョア世界は描写の対象ではないことが明確に意識され、社会的に孤立したインテリが批判的な描写の対象となる。歴史的に見てブルジョアを批判し対立する精神の描写は漱石の課題ではあり得ない。漱石の歴史的な課題はインテリがブルジョアと対立して社会全体のために役に立っているという幻想を解消することである。
『彼岸過迄』では財産を持つために、社会に出て人間関係に対して働きかける力を必要とせず、形成できなかった須永が自己の無力を自覚する過程が描かれている。須永は自分が社会的な成功を収められないことも、成功した田口に評価されておらず、自分が田口の娘の相手としてふさわしくないと思われているいことも理解している。しかしそれはまだ現実的な精神ではない。母や田口の娘である千代子は須永を高く評価しており、そのために須永の幻想は解消されていない。須永はこの幻想と現実の自分の社会的な地位や力量に生ずる矛盾を自覚し苦しんでいる。須永はこの幻想を重荷と感じており、幻想を廃棄し社会的に孤立した自己の無力を自覚し、本来の自己に復帰することを、この重荷からの解放とする傾向を持っている。そのためには現実的な打撃が、厳しい経験が必要である。現実的な打撃なしに頭の中だけでの認識作用によって自己の社会的無力を意識化することはできない。須永は自分の幻想を真に重荷としているから、自己の無力を表明したり、思考したりすることを解決とすることはできない。須永は迷った末の勇気をもって、自分に対する千代子の幻想を破壊することで自己の幻想を破壊する。その結果須永は自分の予想しなかった弱点に直面する。それは社会的に無力であり、積極的な活動を回避している自分が道徳的にも非難される状況に陥っていることである。それを千代子に指摘されることで、彼は決定的な衝撃を受ける。これは漱石自身にとっても大きな発見であったと思われる。漱石はこの作品で道徳的な精神の本質的な矛盾である道徳性と非道徳性の一致に到達する。
『行人』では真摯で道徳的な精神が自己の平穏な生活が実は人間関係の崩壊であることを認識した結果、その堅固な人間関係に波瀾を引き起こす試みが描かれている。それは小市民的、道徳的精神内部における道徳的精神の克服の試みである。しかし小市民的な人間関係の中で、その人間関係を反映した道徳的な精神による試行錯誤によって限界を克服することはできないことは、すでに「彼岸過迄」であきらかになっている。試行錯誤の成果は自分の苦悩と試行錯誤の全体が無力であり、人間関係の崩壊の必然性内部の運動形態であることを認識すること以外にない。一郎は、彼の精神や人間関係においてもっとも破壊的な言動を試みるが、彼の精神とそれを生み出す人間関係に変革的、破壊的に作用することは結局できない。その成果は、一郎が人間関係に対して積極的に働きかけることを諦め、自己の無力の本質をその苦しい試行錯誤に応じた高度の形態で認識することである。
『こころ』はこれまでの作品全体の総括として書かれている。インテリの孤立状態やそれを反映するすべての精神形態の本質は財産であることが明確に意識され描写されている。財産に規定され、財産に保護された社会的地位が無力なインテリや小市民的精神の社会的本質である。漱石はインテリのさまざまな精神形態を研究した後、その本質が財産であることを理解し、その本質との連関によってすべての精神形態を法則的な体系のもとに描写しているおり、そのことによって、驚くべき深い心理描写が可能になった。
『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』にはインテリの好みである三角関係が描かれているように思われる。三角関係は社会的に孤立したインテリ的、小市民的世界に広汎に生ずる典型的な人間関係である。しかし、これは、小市民的世界における人間関係の矛盾の現象形態であり、その本質的矛盾を覆い隠す形式である。したがって、漱石の描いた世界を、三角関係の様々の心理において理解することは、社会の必然性を認識できないインテリに特有の作品理解となり、作品の真の内容を理解することはできない。漱石は現実の本質的人間関係と現象的な三角関係の分離と両者の関係を認識しており、さらにその人間関係を三角関係として歪んで反映する精神との連関をも明らかにするというインテリには想像もつかない課題をこれらの作品で解決している。男女の三角関係を好み、この関係に人間関係上の悲劇が潜んでいると考える類の現実認識が現実と接触することによってその無力を証明され、その認識が実践を伴うほどの深刻な内容を持つ場合には破滅の必然性を持つことを描いている。『こころ』の先生とKは高度に真摯な精神において自己否定を獲得するのであって、三角関係の矛盾において破滅するのではない。先生はお嬢さんとの関係の破綻によって死ぬのではなく、お嬢さんとの関係を含めた人間関係一般を形成できないことにおいて自殺する。このような関係の内部では無力なインテリが好む三角関係とは次元の違う真摯な精神や情熱が展開されている。それを描写しているところに、三角関係そのものに興味を持って描いている三文小説との違いがある。漱石はこれをすでに意識しているが、そのことに触れることがなく、また描写においても、敢えてこの二重性が明らかにならないように意識して描写している。それは、彼の思想的発展のこれまでの経過からして、それは、単純に示唆しても理解されないと覚悟しているからであろう。
漱石は『こころ』で小市民的な批判意識の形成と破滅の過程を先生の精神に投影して描写した後、その批判意識が明治の精神として葬り去られるべきことを宣言している。漱石にとってこの作品は自己内の道徳的な批判意識に対する判決でもあり、解決でもあった。漱石の成果はいまだに社会全体の獲得物になっていないが、歴史上の論理としては漱石によって日本的な小市民根性には、もっとも本質的な点において最終的な判決が与えられている。
『硝子戸の中』には自己意識の総括を終えた漱石の休息を対象化した落ち着きのある文章が綴られている。高度の文体が高度の思想によってのみ獲得できることがはっきりわかるすぐれた作品である。
『道草』は漱石が自分の人生の日常を高度な思想によって綿密に位置づけた作品である。この作品には『吾輩は猫である』以後の、小説家として獲得した自分の精神が客観的に描かれている。『猫』から『こころ』に至る作品は漱石が自己の精神を様々の側面から次第に本質的に認識するに至る過程であった。漱石はこの作品で自分の置かれた社会的な位置を認識し、つまり日本におけるインテリ的精神の現実の段階を認識し、その全体像を描く力を得ている。それを証明したのが『明暗』である。
『明暗』は漱石が作家としての力量を自覚し、これまでの成果のすべてを投入した傑作である。小市民のあらゆる対立形態と相互の連関、転化が客観的に描かれ、社会に対する批判や非難という形式はまったく消えている。本来の批判精神とは小市民的な精神の社会的運動法則を認識することである。小市民が自己の利益を追求し実現することが常に同時に没落への道であることが、津田の運命においてこの上なく見事に、須永と同一の精神を持つ小市民にはどうしても理解できないほど客観的に描かれている。その法則を小市民世界から落ちこぼれた小林が認識し説明しているが、それは小林の個性の言葉として描かれており、作家の判断として、真理として描かれているのではないために、津田の立場からみれば明らかに小林の弱点と見えるようになっている。小林には小市民世界の法則に対する漱石の高度の社会認識が対象化されており実に高度の内容をもっており、それが小林の個性と一致している。
清子には小市民世界との分離を自覚したことによる冷静で端的な精神が描かれている。小市民世界に挑戦的な小林に対して、清子は対立する必要も感じない分離的な精神として設定されている。この両者こそ自己内の小市民的な批判意識が引き起こす矛盾に苦しんでいた漱石が理想としていた境地であり、小林は、歴史的に生まれつつある新しい精神の発見である。小市民的な不毛な矛盾を反映した不満や苛立ちを克服するには漱石の作品に描かれたすべての精神的発展過程を自己の契機として獲得し、小林や清子の精神を獲得する以外に方法はない。彼らの精神を継承することによってのみより高度の歴史的精神を獲得できる。
現在ではエリートインテリとしての社会的役割も失われインテリの社会的無力は理解しやすい現象になっている。しかしそれはインテリの無力と没落の法則を理解することとはまた別である。現象としての没落と法則としての没落はまったく違った姿を持っている。漱石はインテリがエリートとして国家建設の役割を担い、階級として積極的な意義を持っていた時代にその歴史的な能力において法則的な自己否定の契機を発見した。没落の現象においてもやはり、その現象とは二重化された法則を独自に発見しなければならないという側面からは、没落の現象は没落の法則を覆い隠すものであるとも言える。
バブル崩壊後、ようやく、ほぼこの30年間に、孤立的世界に生きて来た我々哀れむべき世代が、これまでの生きかたを放棄しなければならない社会的圧力を感じ、また新しい生きかたを模作する可能性が生まれたと感じることがてきるようになったと思われる。漱石を含めたすべての精神がまったく新たな視点のもとに規定し直される時代になったようである。