13. 平凡 3

 自然主義作家は性欲の露骨な描写が市場として解放されたことによって、それまでの現友社によるギルド的文壇支配から解放されて新たな地位を得ることになった。作家にとってまったく現実的、社会的解放である。昇や葉山が出世するのと同じ社会的成功としての実質杓解放である。この解放によって得た文壇的地位によって、昇にお勢がひきよせられるように、彼らにも先生を慕う文壇的お勢が現れ、文壇的成功にふさわしい恋愛を経験しその経験がまた作品の材料になるという、自分の足を食って生きるタコのような結構な循環が生まれる。社会的本質を描くことが出来ず、インテリのみじめな性欲しか描けないことが社会的需要に偶然合致したためにこの無力な描写を後に自然主義的方法として理論化し文壇に一勢力を築くことで、自然主義者の恥さらしな人生は芸術家の人生と目されるようになってしまった。彼らは性欲の吐露という新分野を文学の世界に開いたことによって、四迷や一葉、漱石がとりくんでいた社会的本質の研究、描写という困難な芸術的課題からも同時に解放され、文学史上にこれら天才達の流れとは対立的な文壇的潮流を形成して自己満足することになったのである。

 小説家という職業が大量化するに伴い小説が性欲を内容にすることは避けられない。時代の風俗に応じて様々に形式を変えるだけである。日本で日露戦争後に自然主義という低俗な形式が大市場を見出したのは、第二次産業革命を経て日本資本主義の独自の路線が決定されたことがようやく誰の眼にも明らかになり、現実や政府に対する浪漫主義的批判や甘い夢が頭から叩き出されたためである。漱石の思想には大進化をもたらしたこの新しい状況がロマン主義的な凡俗な文士に対しては甘ったるい少女趣味のロマンからうじうじした性欲を描写する方向に押しやった。その方向が時代の要求に合っていた。ロマン主義が時代にそぐわないこと、俗受けしないことは彼らには敏感に感じとれる。それが彼らの文士的時代感覚、文士的生活の知恵である。そして少女に対する甘ったるい恋を描いていた作家はちょうど中年男の性欲を露骨に描くような年令と時代に遭遇し、花袋の「蒲団」が意外の成功を収めたことによって、ロマン主義終焉後の文学界に、このような作品でやっていけるのかという絶大な解放感を与えたのである。

 自然主義の大胆な赤諌々な描写などの主張は偶然的成功の糊塗である。自然主義流の性欲描写を理論化するのは不可能である。理論化すべき内容を持っていない。性欲の描写は成功の後に大胆と宣され大胆と認められた瞬間から大胆ではあり得なくなる。性欲の描写が大胆であるとされ芸術的価値が認められるやすぐさま大流行することになった。誰もが大胆になり、めざめ、すぐさま障害を克服して作品を製造し始めたところに、その障害の質の低さが表れている。四迷や一葉、漱石の作品はそれが一般に高く評価されたとしても、いかにすぐれ、いかに大胆であるかを理論化するのは非常に困難である。またたとえ作品が理論的に分析され、意義が理論的に理解されたとしても流行するわけには行かない。彼らの作品レベルに達するには、独自の研究と才能が必要だからである。

 性欲をあるがままに描くことは大胆である。ただ自然主義の場合は大胆に恥をさらすことである。大胆さが恥さらしになるのは、彼らの性欲がインテリ的に陰気臭い、道徳じみた、いじけた、みじめったらしい、まったく大胆にでもならなければ語れないような内容だからである。性欲がいかに根源的であっても自然主義小説に描写されているような性欲を持つ者が一般的なわけではない。彼らはインテリ的な低レベルの、歪んだ性欲を、人間本来の誰でも持つ性欲だと思い込んでいるために、その描写がインテリ的堕落だということを知りえず、大胆に恥をさらすことが恥を越えるものだと思い込んで大胆に恥をさらしている。性欲そのものは生物的であり発現は社会的である。したがって発現形態に社会的質があらわれる。誰もが性欲の発現、解放の社会的媒介項を問題にしているのに、露骨に自分の性欲をふりまくことが性欲の解放だと考えるような哀れむべき職業病にかかっている。作家自身はこのことによって性欲ではなく生活欲を充足している。したがって露骨なる描写が性欲の解放であるなどと信じる読者や批評家がいるとすれば、いい笑い者であろう。

 性欲を大胆に表現する大胆さにではなく、性欲自体が恥ずべき内容を持っており、したがって大胆に表現するに値しない点で無能であり、大胆さはまったく余計な勇気であったことを人々が知った時、大胆な恥さらしで成功した自然主義作家やそれを擁護した批評家は戦慄することだろう。そして文学史から忘れ去られることによってようやく安らぎを得るだろう。反動的イデオロギーの場合、成功するのがいいことか悪いことかにわかに判断しがたい。彼らは例外なく現世の利益と後世の–運が悪ければ現世の–不名誉を交換することになるからである。とはいっても彼らに後世の名誉などないから、貧乏生活と後世の不名誉を比べて貧乏を選ぼうなどという気もないのであるが。

 自然主義者が性欲と道徳を対立させて面白くもない中年文士の性欲描写を大胆だと思い込むのは、日本には、特にインテリ層を中心に俗な道徳意識がはびこっているからである。彼らは俗な道徳意識を前提–彼ら自身根強く持っている–することで性欲に非道徳とか反社会の価値を与えて性欲を思想化することで生活している。俗な道徳意識を住み家とし食いものにしている。したがって俗な道徳意識を克服しようと努力していた四迷と正面から対立している。四迷の無理解は自然主義の高い評価を意味する。四迷の作品が真に理解されるようになれば自然主義流のやくざな仕事は大胆とも芸術的とも認められなくなる。そして文壇を構成する作家や批評家が、相互の利益のために何とか文学史上の大潮流に仕立てようとしてきた努力も徒労と認められるだろう。性欲の描写を大胆などと今時言っているのは滑稽である。

 性欲の大胆な吐露を標榜するにしても、みすぼらしい性欲をまったく露骨に描写できるものではない。もともと社会的関係から逃れることの出来ない人間に、動物的露骨などあり得ない。本能は全て媒介的に発現するから露骨と隠蔽を区別できるものではなく、露骨のあり方とか隠蔽のあり方、つまり発現の仕方が人によって違うだけである。文士はイデオロギー生産を職業にしているのであるから成功するためにはどうしても一般的形態を取らざるをえない。自然主義的文士的露骨=隠蔽の場合、この一般性が性欲をみすぼらしく、退屈にしている。

 四迷の場合性欲を含めた多様な欲望の発現形態を規定する社会的諸関係を深く把握することにおいて小説は社会的一般的内容を持っている。自然主義者は社会約諸関係についてはまったく無知であるから、自分のみすぼらしい性的経験を、社会的関係から解放された性欲そのものと考え–こう考えることにおいて社会的に規定されている。この考え方が彼らの社会的特質、客観的一般性である–それをあるがままに描くことを、露骨とか大胆と位置づける。深い社会的内容は認識のかなたにあるのだから、彼らの社会性、一般性は社会関孫の深い描写そのものにではなく「性欲の発展がたくみに人生観などで潤飾されている」ような、つまり性欲で気をひいて人生観を売りつける形式を取らざるをえない。

 彼らの社会性は性欲のあり方そのものですでに描写されているが、性欲に社会的無知が生み出す教訓的人生観をそえることによって一般性を獲得しようとして作品を一層みすぽらしくし、このことによって一層自分の社会性を貫徹する。そうせざるを得ない。じめじめした中年の性欲に人生論をまぶして一層面白味のないものにし、さらにそれを露骨だとか大胆だとか考えて発表するのが彼らのイデオロギーのあり方であり、社会的に規定された必然である。彼らは中年インテリの性欲をせっせと描写することで貴重な人生を潰すよう運命づけられている。歴史的慰めは性欲の描写に精力を注いでいるような人生は、潰したとしても惜しくないということだけである。

 四迷は中年文士の陰気な肉欲を嘲笑すると同時に、若々しい、無知で世間知らずの肉欲的文学かぶれにもサタイヤで批判している。これも「浮雲」の作者らしい見事な手並みである。

 私は斯ういふ古物ぢやで一寸も知らなんだが、当節若い者の仲間ぢや、新体詩たらいふものが甚う流行しとるげぢやが、どういふ物ぢやと思うたら、早い所が国などでいふアノ心中口説節な、ま、ああいふ質の物ぢや、口説節は哀れツぽうて一寸面白い物ぢやが、この新体詩たらいふものは、や、舌足るい胸の悪うなるやうな物で、やれ恋ぢやの何ぢやの、乳がむツちりしとつて堪らぬの、接吻たらいうて、平たく言うたら女子の口を吸ふことさうなが、それが行らかしたいのと、そりや全然色情狂の譫言を陳べたやうなものぢや、こいつを、一寸も知らぬ中に、宅の倅奴が作り覚えて、こつそりやり居つたのぢや、然うとは此方知らんもんだで、彼奴もも最う面皰盛りも過ぎる年ぢやに、遊びに行く様子もさツぱり見えぬ、今の若い者が那様でも困ると、親馬鹿ぢや、道楽せにやせんで其を又苦にしとつたのぢやが、何の、阿房らしい、倅は色気が内攻しとつたのぢや、さうと知つたな先々月の事で、ありや何たらいふ…え、ゝ何たらいふ雑誌…おゝ、さうぢや、「枕の友」たらいふ雑誌ぢやつた、其雑誌で今の新体詩の懸賞募集をやつた時倅の作つて出いたクツだらぬものが、何処を好うてか知らぬが、三等に入つたとかで、裸女の画の入つた、其癖何やら小六かしい事の書いたる本を一冊賞品ぢやいうて其雑誌から届けて寄越いた、それからといふものは、奴乗が来たと見えて、もう公然に、学校の方の事なんか放擲かいといて、朝から晩までそればかりに浮身を窶して、お袋の言ふ事なんぞ従頭耳へも入れぬ、ま、それも好えが…(「老の繰言」第五巻107–108頁)

 四迷は新体詩を色気づいただけの文章だと考えている。色気を甘ったるい言葉で潤色したり、下らない人生論で潤色したりするのは困りものだ、色気にしたところでもっと常識的にまともに表現するわけには行かないものかと苦情を言っている。これではせっかく性欲によって解放された日本の文士は面白くないであろう。大胆で根源的な、人生の重大事である性欲問題を色気づいているだけだといわれ、苦心の人生論を芋並みに扱われては名誉–地位といった方が正しい–と生活にかかわる。彼らの社会的解放の阻害要因となる作品である。「平凡」の深い意味など理解できるはずもないが、性欲問題しか書くことの出来ない作家にとって老人のぼやきや山盛りの芋は、のどにささったとげのようにどうしても気にかけずにはおれない。そして今後日本の精神レベルが向上するとともに気にかかるぐらいの存在ではなくなるだろう。

 従来の批評は「浮雲」や「其面影」の深刻な内容を理解しなかったし、「平凡」のサタイヤをも全く理解しなかった。ただし無理解のあり方は非常に違っている。「浮雲」、「其面影」では作品を一応評価する形式をとりながら、無理解の結果として誹謗中傷になり無意識的に恥をさらしている。「平凡」は現実の誤った反映形式を批判する直接的思想闘争の形式を取っており、これが日本的文士の急所を突いているために、自分がどこをどう突かれているのか理解できないながらも自分がサタイヤの対象であることは本能的に感じとってひどく興奮しており、四迷批判もより直接的、積極的形式をとっている。

 作家や批評家がよってたかって「平凡」にくってかかる様子ほど楽し小気味のいいものはない(1)。それがサタイヤのねらいでありサタイヤの正しさ、深さを証明しているからである。「平凡」は「ドン・キホーテ」が騎士物語を一掃したような劇的効果を生むことはない。セルバンテスは騎士物語の没落期に止めを刺したが「平凡」は三文文士のためにはじめて性域が解放されこれから文学史上にはびころうという時にサタイヤをプレゼントした。だから作家や批評家が精神的自己保存の本能によって、自己破壊だとか自己懐疑だとかいって四迷に投げ返そうと努力している。

 (1)作家としても批評家としても著名な正宗白鳥氏は四迷について「彼れはその小説の主人公の如く、少し愚図で頭が牙えていなかったらしいが、正直であった。」(「二葉亭について」)と言っている。彼は明治四十一年までは四迷を絶賛しているが、その評価を一変し中村氏が周知の常識として引用するほどの罵倒を「二葉亭について」や「二葉亭四迷に関連して」(いずれも正宗白鳥全集第二十巻 福武書店)で浴びせている。こんな世迷い事を平気で書き散らす陰気で「平凡」な男について、四迷と同じく頭が牙えていた漱石は次のように言っている。

 「白鳥はチヨツカイを出す事を家業にしている。云ふ事は二三行だ。夫で人を馬鹿にして自分がエラサウな事ばかり云ふ。厄介な男だ。」(明治三九年一一月六日森田宛書簡)白鳥も「二葉亭について」で「夏目漱石でも、世間のおだてに乗せられて、自分も一八のえらいものになった気でいたらしい」と公式に書いているからなかなか負けていない。四迷、漱石対白鳥、中村氏というのはなかなかいいとり合せである。

 「平凡」を失敗させたサタイヤの意義はこれくらいで切り上げよう。そして「平凡」を失敗と感じさせた四迷本来の目的を評論から紹介しておこう。以下の言葉の四迷における具体的内容は作品分析で示したからここでは四迷がどれほどはっきりと意識化していたかを紹介するにとどめる。

 性欲の専門家である自然主義作家や同調的批評家はそれ自体としてはまったく滑稽であり、サタイヤの対象でしかない。彼らに対する批判としてサタイヤに意義がある。しかし彼らを克服する正しい方法を対置することは非常に困難な、そして重要な理論的課題である。四迷はサタイヤと同時にリアリズム論を展開しようとして「本来堂々と正面から理屈をやるつもりだつたのだが」ついに成功せず「その意味に於いて全く失敗さ」と考えた(「平凡」物語 第五巻244頁)。この課題が果たされないかぎり、いくらサタイヤでつつき回しても彼らが文学史上から消え去ることはない。「平凡」の四十三回、四十五回に批判の本質的内容が書き込まれており、同時期の論評も「真面目」な批判を行っている。

 目的を定めて進むのは結構だが、目的は方向だ、生活の方向だ、余り目的ばかりを視詰てゐて生活をお留守にするな、且つ目的を定めるといふことは至難の事だ、過失に陥り易い、目的は生活の生み出す處で定める位が好い、能くも生活を翫味せぬ中に軽率に生活を離れて理屈一邊に目的を定むるのは危険だ。…
 詩の面に表はれた所で見ると、穢土の味を深くも味はわずして穢土を厭ひ、理想境は未だ確かに分らぬに只管之に渇仰髄喜することになつてゐて、稍軽率の感がある。勿論此詩は叙情詩だから此詩に由つて作者の見解を聴かうとは思はぬが、穢土は厭だと最後の判決を歌ふなら、其厭なる所以をも歌つて貰ひたかつた、それでないとどうも物足ん。(「かぐや姫」評 第五巻 105・6頁)
 今の文学者なざ殊に西洋の影響を受けて、いきなり文学は有難いものとして担ぎ廻つて居る。これぢや未だ途中だ。何にしても、文学を尊ぶ気風を一旦壊して見るんだね。すると其敗滅の上に築かれて来る文学に対する態度は「文学も悪くはないな!」ぐらゐな処になる。心持ちは第一義に居ても、人間の行為は第二義になつて現れるんだから、ま、文学でも仕方ないと云ふやうに、価値が定まつて来るんぢやないかと思ふ。
 …これも同じ事で、文学にしがみ付いて、其でなきや夜も日もあけぬと云ふな、真に文学を愛するもんぢやないね。今の文学者が文学に対する態度は真面目になつたと云ふが、真面目ぢやなくて熱心になつただけだらう。法華信者が偏頗心で法華に執着する熱心、碁客が碁に対する凝り方、那様のと同様で、自分の存在は九分九厘は遊んでゐるのさ。真面目と云ふならば、今迄の文学を破壊する心が、一度はどうしても出て来なくちやならん。
 だから私の態度は…‥私は到底文学者ぢやない。併し文学が児戯に類すると云ふ話と、今の話は別だよ…(「私は懐疑派だ」第五巻 233–234頁)

 性欲の吐露などという中年文士の愚にもつかない道楽を文学だからということで「老人が御宗旨にこるやうに」むやみにありがたがるのは文学を尊重する所以ではない。四迷は自分が文士と見られるのを心底嫌っていた。現実には何の役にも立たないが、精神的な高尚な世界に住んでいる特別な人間と文士自ら任じ、人々もその意味での敬意を払っている時代には四迷には文士という言葉は侮辱と感じられたし、彼の才能や作品に対しては実際に侮辱であったからである。

 要するに人間生きている以上は思想を使ふけれども、それは便宜の為に使ふばかり。と云ふ考へだから、私の主義は思想の為の思想でもなけりや芸術の為の芸術でもなく、また科学の為の科学でもない。人生の為の思想、人生の為の芸術、将た人生の為の科学なのだ。(「私は懐疑派だ」第五巻 234–235頁)

 人生のための芸術という言葉はすでに知られているがこの言葉を芸術のための芸術と対立的と考えている人々には四迷の思想は理解できない。人生のための芸術が芸術の有るべき姿だということくらいは、文学を無闇にありがたがっている自然主義者や批評家でも同意する。この言葉が自然主義に対置されているのだから、四迷の自然主義理解の対立物として理解しなければならない。自然主義作家は現実にあるがままの人生を–彼らの主な関心は性欲である–人生論で潤色しながら描いている。このやり方が批判されているのは人生についての理解が対立しているからである。

 自然主義作家は文士的に特殊な世界を対象化することで文学が現実より高い精神界にあると信じ、文学でなければ夜も日もあけない。文学が世界の全てである。しかし実際には現実を見下し–見下すべき現象はいくらでもある–文学をありがたがって精神の高みに昇るほど現実の本質から離れ、精神は無内容になる。精神が文士的に狭い世界に特殊化することになる。すると現実が見えなくなるからますます特殊な世界をありがたがるようになる。

 このような悪循環をぶち壊して芸術を現実世界にまで引きずり下ろさねばならない。現実は如何に「鹿鳴館の軽薄」がはびこり、「絶対主義的官僚機構」が人民を閉塞状況に追い込んでいる等々その他何であろうと、中年文士の性欲などと違って、偉大で豊かで力強いからである。芸術はこの現象を見下すのでなく、その本質を反映することによって豊かに偉大になるからである。

 自然主義者にとって疑いもなく現実的で根源的な人間の本質である中年の性欲が人生である。四迷は現実とか人生を次のように考える。

 然し最う這麼に生活状態も苦しくなつて来てはゐるし、一般人民も、最少し社会上の問題に注意しさうなものだと思ふが、一向に其麼風は見えない。此分では何時の世にか政治上や社会上の問題に世間が色めくやうな事があるやら無いやら。生活が苦しくなればなる程唯もうそれに追はれて、浮きつ沈みつアップアップするだけで、愈々唯だ個人主義になつて了つて、些とも社会現象を考へるなどといふ事は無さ相だ。この調子が又文壇の調子なんだ。だから日本従来の文芸上には兎角閑問題ばかり取扱はれてゐた。実感では無い。現実とは縁の遠い暢気な事だ。(「文壇を覚醒す」五巻、242頁)

 実感=現実的社会的が個人主義、閑問題に対置されている。自然主義のあるがままの現実を非現実的といい、性欲を吐露しているのに実感的でないといい、大胆に暴露し人生問題を問うているのに閑問題を扱う、という。これは四迷が「小説総論」以来まったく独自のカテゴリーを使っているからである。彼にとって現実とは現実の本質=アイデアを意味しており非現実的とは認識がアイデアに届かないこと、瑣末な第二義的な偶然的な文士的に特殊な等々フォルムだけにかかずらわることを言っている。現実を本質と形相に分ける「小説総論」の画期的思想を理解しないかぎり、四迷の全ての言葉はまったく違った、大体は正反対の意味に解釈されてしまう。写実といえば事実を写すとしか考えず、現実的といえば空想的や理想的に対置した金儲けや出世としか思いつかず、実感といえば個人の感情と解説し、「私は懐疑派だ」と言えば四迷は懐疑に苦しんだと同情し、作品は失敗だったと言えば失敗だったと解釈する。字面を読むだけで四迷の思想内容について全く考えようとしない。つまり、字面に自分の平凡な思想をなすりつけることしかできない薄っべらな頭では四迷の作品を理解するなど到底できないのである。

 四迷の現実=アイデアはさらに具体的には次のように考えられている。

 個人主義なんてものは比べると微々たるものさ。そして例へば普通のブールジョワ(日本で云へば一般俗衆)と精神的労働者(日本で云へば腰弁、文士等)との争ひと云ふ風に衝突が全て階級的だ。それで団体の為に働いて厭ふ所がない。私の知つてるロシア人の中には、大学教授なぞで、見すぼらしい生活をしながら、さう云ふ夢を見てゐるのが多い。従つてムーブメントがどうしても社会的で政治的の色を帯びてゐる。日本も早晩さうなりさうなものだ、他の方面では一寸見当らないが、去年あたりから議会の形勢なぞを見るとどうもその少壮実業家の勃起と云ふやうな事がこの階級的運動の先駆をなしてゐるやうに見える。団体と団体との競争、それから生ずる政治的興味、さう云ふ風になつて来ると面白い、我々も与る事が出来るわけだ。(「眼前口頭」 五巻 264頁)

 衝突が階級的、社会的にまで発展することをもって問題の解決と考えること、したがって諸問題をすべて社会的、階級的対立の発展という視点から把握すること、これがロマン主義や自然主義、さらに全ての四迷論者と決定的に対立する思想であり、夏目漱石でさへついに発見できなかった思想である。四迷にとって現実的や実感的が社会的、階級的という言葉と同義語であることを明治の現実に印して理解することが四迷論の鍵である。

 自然主義は性欲に夢中になっている。中村氏は出世や金儲けに満足している。近代的自我史観は官僚機構が非人間的だと非難することで批評家としての良心を安んじている。四迷はこれ等のゴタクを克服するためのアイデアを発見しようとしている。それは現実的対立が社会的対立形式へと発展することである。遅れた、俗な、消耗的な個人的いざこざが「団体と団体」の対立にまで発展すれば、中年の性欲を研究することが大胆だとか革命的だとか思われることはなくなる。閑問題であることが分かる。金儲けと出世だけが現実的だなどとおさまりかえっているわけにもいかなくなる。官僚機構が反人民的だとか非人間的だとかは具体的分析の邪魔をする騒音に過ぎなくなる。本質が力強く現象しはじめれば「平凡」が平凡であることがはっきりする。四迷はそのような現実を求めそのような現実のために作品を書いた。だからそのような現実になることが四迷の正しさを証明する。人々の意識を四迷のレベルまで押し上げるのである。

   おわりに

 四迷は「平凡」を書いた後、明治四一年再び実際活動を目指し、身辺を整理し骨を埋めるつもりでロシアへ行った。そして若い頃から病んでいた肺結核によってロシアからの帰途インド洋上で永眠した。

 日本文学史は四迷、漱石、一葉、啄木といった才能ある人物をこれからという時期に失っている。しかしこれも日本文学史の宿命のような側面を持っている。我々は例えば四迷の死因が肺結核であったことに多少の慰めを見出すことができる。偶然的事故によるものでなく「浮雲」執筆時代から体と神経を酷使し、ロシアの寒さに耐え難い程研究し格闘したからこそ「二葉亭全集」という価値ある仕事を残した。日本での才能は偉大であるほど無理解と物質的困難にさらされ厳しい闘いを余儀なくされる。

 四迷の期待に答えるべき事件は世界史的にも日本史的にも彼の死後登場しはじめる。彼は自分の思想的勝利を現実的現象によって確認する幸運には恵まれなかった。しかし彼らはアイデアないし自分の思想の勝利に対する確信があるからこそどのような困難に会ってもアイデアの中にとどまる。したがって四迷が船上で不幸な死を遂げたことをもって、俗物批評家が四迷を哀れむ喜びに浸るには当たらない。その証明は四迷のアイデアを今後さらに詳細に分析し、その力を明らかにすることで果たされるだろう。

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