哲也は支那行の解決策を小夜子に拒否され、身をひかれたことで希望を失い自暴自棄になった。しかし、これも出世のための養子縁組の条件で与えられた必然の中にあり哲也の高度の精神性は保たれている。この必然の帰結として大陸で荒廃した生活をしながら哲也は最後の総括というべき批判を受ける。この批判も四迷が繰り返し展開してきた内容であるとはいえ合理的で見事である。葉山は哲也に「末はどうにかなる見込があるのか」(376頁)と問い、勝利者の善意でその不心得をさとす。俗物である葉山に、荒廃した生活をする哲也に対する説得力ある批判をさせるには、背後の必然性を知り哲也の正しさを確信していなければならない。あの漱石でさえ自分が肯定的と信ずる人物が、俗物達を批判し説得する形式での小説が読者の精神をひきあげると信じ、長年抜け出すことができなかった。
葉山には出世のチャンスを棒に振ったのが小夜子に対する愛情のせいだと見えた。今また小夜子との関係が絶たれたことでやけになっていると見える。哲也が女との人情ばかりにかかずらわっている軟弱な男に見える。
「例の失恋の結果といふものか…」 「何だたかが女一匹思ふやうにならなかつたといつて男子たるもの一生を捧に振るなんてバカバカしくて話にならねえじやねえか」(378頁)
葉山は、哲也が時子と養子縁組をしたことで人生を棒に振ってしまったこと、葉山のいう「男子たるものの一生」を送ることが哲也にとって人生を捧に振ることだということを理解できない。哲也にとってそんな生活は小夜子の愛に代表される全く別の生活と比ぶべくもない。このことを四迷は,文三がお政に、哲也が小夜子に言ったように、「僕もそう思わんじやないが、しかし何時の間にか此様に為つちやつたんだから仕方がないさ」(同上、378頁)といかにも彼らしく表現している。四迷は必然性をこのように表現する。さらに哲也に対する批判を計算したように「『夫といふが君が意気地がないからだ」 『さうだ!』とぴしやりと我手で我膝を撃つて『夫に違いない!僕は全く意気地がないのだ』」と続けている。まったく四迷らしい。
この「意気地がない」には大きな違いがある。葉山は出世に必要な手段を実行できないという意味で使っている。哲也の意味は小夜子と時子との関孫をはっきりした形で決着できなかったことである。
君は能く僕の事を中途半端だといつて攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあつて、始終其二点の間を彷徨してゐるやうな気がしたのです。だから事に当つて何時も狐疑逡巡する、決着した所がない。時も鼻張りが強いばかりで、卒となると存外弱いが、其処へ行つちや小夜だ。所謂外柔内剛で、口当りは一寸柔いが、心が確りしてゐる、行り出すと極端まで行るです。(同上、379頁)
哲也は葉山のように小夜子を切り捨てることはできない。また小夜子のように愛だけで割り切って、時子を切り捨てることもできない。二点間で迷って葉山からは意気地なく、小夜子からは「御志の少し浅々しう仇めいたる」(同上、361頁)かに見えるのは、彼だけが矛盾の中心点にいて矛盾の本質的解決を迫られ、解決しようと苦悩しているからである。彼だけが過去によって時子に結びつけられ同時に同じ強さで小夜子にひかれる矛盾の中にいるからである。彼には極端なことはできない。「いつのまにか」哲也は歴史的運動の真ん中で、どのような決断も悲惨な結果を生むような立場に入ってしまったから「仕方ない」のであり、意気地がなく見えるのである。
さらに小夜子が孤児院で孤児の世話をしていると聞いて、「いや然うでせう。彼れは然ういふ事で一生を終る覚悟でせう。僕などの到底及ぶ所でない」(同上、379頁)と言っている。四迷らしい徹底ぶりである。
哲也は小夜子の覚悟を偽りなく評価している。しかし小夜子と同じ人生を選ぶことはないと哲也自身覚悟し、自分との距離を前提してのことである。哲也の小夜子に対するこのような感情は一貫している。小夜子が「死ぬしかないぢやありませんか」と言った時もそうであったし、小夜子が哲也との生活に積極的であった時もそうであった。
「『ですけど、世の中には私より最つと最つと不幸な人が沢山有るでせう?然ういふ人達の為に働いて戴きたいのですが、不好でせうか?兄様が奮発なさりや、如何な事だつて出来ない事はないと思ふわ。ですから、然うして兄様が其様な不幸な人達に同情して働いて下さりや私姉様には誠に済まない事をしてゐるのですけど、兄様のお蔭で間接に大変な慈善をする事になりますから、幾分か罪が軽くなるかと思ひますわ。然うでなくつて、若兄様が私一人に尽して下さるんだと、払は唯姉様の大事な方を奪つたゞけの事になつて了つて、如何しても安心して居られませんから』、と深く思人つて、今は極りの悪いのも何も忘れてゐるらしい。
小夜子の言葉は哲也の耳には稍稚気を帯びて聞こえたが、その熱誠には深く感動せざるを得なかつた。
聞き終わると、まづ『難有う!』と其人よりは其得難い熱誠に一拝して、『能く分つた。実に責女なればこそ其程に言つて呉れるのだ。難有う!』と又一拝して、『無論大体は同感だ。成程貴女の言ふやうにしなければ、我々の為に活路は開けん。僕が貴女の愛に溺れるやうでは、貴女も不本意だらう。能く分つた。誓つて貴女の希望に背かんやうにするから。』」(327頁)
明治三五年にこのような会話が描かれていることに全く驚かされる。小夜子のような意識は現代でも見掛ける。しかし小夜子に感動しながらも「稚気を帯びて聞こえた」と書く意識は批評家式の俗物をのぞけばめったに見られない。小夜子の言葉はなぜ稚気を帯びて聞こえるのか?
小夜子は常に不幸な人間の役に立ちたいと考えており、そのための労苦を厭わず生涯を捧げる覚悟ができている。この熱誠は彼女の不幸な境遇から生まれたすぐれた精神である。しかし不幸な人達のために働くのは非常に難しい。孤児が救いを必要としているのは確かであるが彼らをどう救うかは非常に複雑な課題である。彼らは弱い立場におり、社会的変動の脅威に晒されやすいことで不幸なのであるからいっそう本質的解決が必要である。しかし小夜子には彼らの不幸の大きさは彼らを救う手投を分かりやすくしていると思われる。彼女の救済は同情の域を出ない。小夜子は俊子との区別、つまり自分の同情と偽善との区別をはっきりさせることができないし、その必要を感じていない。
「浮雲」では文三乃至お勢を、「其面影」では小夜子ないし哲也を、つまり不幸な人達を救う本質的方法が研究されていた。孤児の場合も独自に–独自の媒介項を経て本質に連関しているから–本質的解決策が発見されねばならない。本質的解決策だけが「救済」ではなくなり、孤児に対する同情という侮辱的形態を克服することが出来る。しかし小夜子には哲也との関係でそうであったように熱誠はあるものの「不幸な人達」を救う方法に対する意識はない。だから問題を取り替えることが何らかの解決に思える。しかし彼女の弱点は問題を取り替えても問題がより深刻に本質的になった時に別の形態で再びあらわれるのである。
小夜子は「不幸な人達」のために尽くしたいと思い、その精神を貫いている点で立派である。しかし彼女が孤児のためにどれほど有益な活動をしても、彼女と哲也と時子の関係の解決にはならない。ひとつの困難を別の困難に取りかえただけで、彼女が哲也の関係と同じように孤児と深くかかわれば再び解決すべき「こんな事」が生じる。そして再び身を引くか「こんな事」の中に生きるかを問われる。小夜子の言葉はまず「不幸な人達」のためになることとは何かについて考えていない点で、その結果として別の問題に移ることが一つの問題に多少とも解決を与えることになると思っている点で稚気に類する。
哲也はこの小夜子の熱誠に感動し、彼女の熱誠を自分の生き方の中に受け止め「僕が責女の愛に溺れるやうでは貴女も不本意だらう。能く分つた。誓つて貴女の希望に背かんやうにするから。」と決意を新たにしている。孤児のために働くことが罪ほろぼしになると考えるのは稚気に類するが、小夜子との愛だけに生きるわけに行かないのは哲也にとっても同じだったからである。哲也は小夜子への愛に溺れるようなことはなかったしその後もなかった。彼は自分と小夜子の運命をなんとか合理的に解決しようとした。しかし小夜子の「希望に背かんやうにする」ことは出来なかった。愛に溺れ愛の観点から関係を整理しようとしたのはすでに見たように小夜子であり、哲也は小夜子の熱誠を認めつつ独自の運命の内部に生き続けたのである。
葉山のように出世だけを望んでいる人間にとっては哲也の複雑な運命とそれを反映した心理は全く見えず、事態は単純に見え、解決策も単純である。寛容な葉山は哲也を必要以上に責めず、新しい事態に応じて「新規蒔直し」を提案する。小夜子との結婚である。
「君一人が助かると助からんの界だもの小夜子さんだつて承知するさ」(379頁)と葉山は考える。時子、姑にしてもすでに大陸からの送金が止まって久しいのだから背に腹は替えられない。もともと愛情はないのだから大陸で破滅されるより「新規蒔直し」でいくらかになる方がましである。しかし哲也は「ダメだ僕はもういけぬ。もうまじめに人を愛することなどできなくなつてしまつた」(同上、380頁)と答えている。哲也を構成した必然=個性はすでに展開し終わっている。彼の必然性は、時子と結びつき、その結びつき方によって対立し、その対立によって小夜子と結びつき対立を増幅するという矛盾が描く軌跡を生き抜くことであった。小夜子への愛情も時子に対する同情もこの軌跡の中で生まれる強い感情である。「新規蒔直し」は緊張した彼の人生の廃墟を意味する。小夜子との新しい結びつきは小夜子の同情と時子の諦めによってようやく維持できるだけの、彼が直面してきた問題に何の関係もないばかりか、彼が何も解決できなかったことを日々証明する生活である。小夜子に対する愛情は時子との関係の中で生まれる深い情熱であった。哲也は同情その他によって他ならぬ小夜子とともかくも結婚生活を送ることを望むような軟弱な人間ではない。小夜子との関係も時子との関係も終わってしまい、彼の感情の基礎であった矛盾に満ちた生活が消え去った今「人を愛することはできなくなつた」と哲也は感じて小夜子との関孫は終わったのである。自分を規定していた、自分の本質である矛盾を解決できなかった哲也にとって、破滅的結果によって時子から解放されて小夜子と平穏な生活を送ることも、大陸を放浪することも、いずれも人生の破滅である。ただ哲也のような内に秘めた情熱を持つ人間にとっては、大陸を放浪する方が耐え易いであろう。
哲也はこうして大陸で破滅する。他方葉山は出世する。「当人は四十迄には迄度馬車に乗つてみせると力むでゐるさうだ。兎に角えらい勢である」と結んでいる。このような描き方にも、四迷がいかに出世主義と無縁だったかが現れている。四迷は葉山がえらい勢いであることに対しても、哲也が破滅していく過程に対しても常に冷静に対処している。両者のこの対立的過程が現実であると理解していた。彼は哲也の立場に立つ点で全く徹底しており、哲也の一般的立場にまで達していたから葉山に対する道徳的批判や哲也に対する俗な同情を越えることができた。哲也の悩みがそうであるように葉山の個人的成功自体はすでにうらやむべきでも批判するべきものでもなかった。哲也と葉山の対立の、つまり哲也の破滅と葉山の出世の祉会的意義の認識が課題になっている。
以上「浮雲」、「其面影」を通じて四迷の創り出した文三や哲也が日本文学史上最も肯定的な、積極的人物の一人であることを論証しようと努めてきた。彼らの歴史的意義の理解は思想上の成果、到達点を知る試金石となる。彼らの理解如何によって文学史は全く異なった流れを構成する。
彼らが肯定的、積極的人物であるという結論には大多数の人が釈然としないであろう。その原因の第一は読者自身の思想による。人物を諸関係の現象形態として観察し、歴史的に具体的に規定することの意味を知らず、積極性を形式的にのみ思い浮かべている。現実の積極性や主体性とは現実の本質的矛盾をいかに深く自己内の矛盾にするかである。四迷の場合文三と哲也が他の人物に対して時代の矛盾、必然、アイデアをもっとも深く反映し自己の必然としているために、つまりもっとも困難な課題の解決を要求される立場に追い込まれているために、他のあらゆる一面的立場からする無理解と批判にさらされる上、一面性に対する他の一面性による反批判も不可能になっている。彼らのかかえる問題の大きさと、問題を解決する条件が成熟していないことが彼らの不決断と意気地なさの意味である。したがって彼らが抱えている問題を理解し、その本質的解決とは何かを理解し、本質的解決策を見出した時–これは歴史的発展の後に可能になる–はじめて彼らの主体性の「不十分」を批判する確利を持つ。とはいえ本質的解決とは歴史的発展の各投階で独自に発見しなければならないのだから本質的解決の意味を知る場合彼らの主体性の不十分を批判するなどという意識は消えさる。彼らの理解は歴史的法則の理解を意味しており、理解が批判という形式にとってかわる。歴史に対する無理解が批判を生んでいるのである。
文三や哲也は常識における消極的形式を持ち、敗北者、破滅者であるにもかかわらず、歴史的規定において積極的である。彼らが現象的にも最も肯定的かつ積極的人物であったことは、他の明治文学の分析によって明らかになるだろう。しかし、この人物の積極性をそれ自体として理解することが日本思想史の基本的課題である。四迷の人物像は、後進資本主義国である日本の特殊性を最も深く反映している。我々は四迷的に複雑な現象を歴史的自己認識の課題として抱えている。そして高度の理論を切実な欲求の対象にせざるをえないという、みじめな後進資本主義国の独特の強みを持っている。この欲求を満たすべく四迷の人物橡を面倒な、まだるっこい、小難しいやり方ででも、あらゆる方面から研究しなければならない。「浮雲」では特に彼らの立場と反映形態の連関について述べたが、ここで再び同じ内容を特に意識内部の問題に絞ってその複雑さの一端を示しておこう。
昇や葉山に対する批判意識が文三や哲也の意識の肯定的側面すなわち彼らの支配的、基本的意識である。同時に彼らにはこの批判意識を批判し越えようとする自己否定的精神が生まれている。これが彼らの精神内の基本矛盾、彼ら自身の–昇や葉山との対立関係でない内的な対立–苦悩である。この自己否定的な精神は、昇や葉山の社会的力の認識にもとづいて道徳的批判意識の無力を知ることによって生まれる。この認識が道徳的批判意識の積極的形態を制限する–このような自己制約に欠けるのが社会小説である–力となり、道徳的批判に安住できない彼らの深い苦悩を生むことになる。
昇や葉山に対する批判意識を制約することは、批判意識の道徳的抽象性を制限し、具体性を獲得しようとする内的欲求に転化することである。しかし未だ具体性を獲得できないために、自己否定的精神は批判精神を制限するものとしてのみ作用し、その結果不決断、意気地なしという消極的形式を肯定的精神に与えることになる。
一般には対象を一面的にでなく全面的に公平に客観的に規定することを、そのものの内部においてでなく、外的に多面的にとらえることと考えられている。文三や哲也のような複雑な精神に対しては特に顕著で、彼らは批判精神を持っている、しかし十分ではなかったなどというやり方が具体的規定として通用している。それ以上のものと比べれば何でも常にそれ以上のものでなく十分でないのだからこのやり方は対象規定にならない。基本矛盾を理解しないから他との比較に終わる。あるいは対象の抽象的一側面を二つに言いかえて規定と思い込む。文三は意気地がない、しかしかえってそこに強さがある、四迷は失敗者である、しかしそれがかえって偉大さであった、といった類の文章が文学枇評の世界ではゴロゴロしている。文三や哲也は、このような間の抜けた折衷主義が無力をさらけだす特に複雑な精神である。
文三や哲也の批判精神を認めるにしても、その批判精神の内容を規定するのではなく、その現象形態に不充分という外的規定を与えれば、現象形態を意気地なしとか積極的でないとか評価することになり、批判意識そのものを否定する質的規定に転化してしまう。文三、哲也の自己否定的精神を理解できず、文三や哲也の意識からはるかに後退することになる。
文三や哲也の自己否定的精神を理解するにはまず彼らの批判精神の内容、つまり彼らが批判している人間像を彼らと同じ高いレベルで知る必要がある。文三や哲也は昇や葉山に対して非妥協的であり、この意識の貫徹がこの意識の現実的無力を意識させる。批判意識の貫徹とは覚悟の問題ではなく意識の内容ないし能力の問題である。したがって作品上でこの形態を発見するのは非常に難しく四迷、一葉、漱石の才能をもってはじめて可能であり、中でも四迷が突出した能力を持っていた。
非妥協的であることは、対象の本質と対立することを意味する。したがって対象の本質を理解しないことには貫徹のしようがない。昇や葉山の本質とは昇の俗物根性や葉山の警沢な暮らし、出世主義的欲望等々ではなく彼らが持つ金と地位の社会的力である。彼らの批判意識が現象としての俗悪さや派手な生活に惑わされず、この背景となる強力な社会的力が彼らの生活に侵入してくる時、文三や哲也はその力との対決に力を注ぎ自分の批判意識の無力に気付く。したがって彼らの無力は認識力の結果であることになる。あるいは認識力そのものである。
文三や哲也の批判意識の非妥協性と認識力を理解できず、批判意識を不十分として否定する場合、我々は現実の中に活動の場所を持たねばならない、行動的でなければならない、積極的でなければならない、つまり要するに十分批判的でなければならないという抽象的で無力な教訓を得ることが作品分析の目的になる。この教訓がバカけているのは、作品の中に昇や葉山という現実に対する積極性の一形態が描写されていることに気付いていないことである。中村氏の批評系統は昇や葉山以外の積極性を知らず求めてもいないから率直に昇や葉山を肯定している。文三や哲也の批判意識を認める場合は、昇や葉山に対する批判意識のもつ積極性が、つまり昇や葉山と区別された積極性が発見されねばならない。積極的でなければならないのは誰にでも分かっている。積極性が日本的に具体的な形態で規定されねばならない。課題が大きい時ほど積極的な、現実的行動とはどのようなものかの認識が難しくなる。日本のように法則が特殊で複雑な場合特に困難であり、困難にぶつかるのさえ困難になる。四迷、一葉以外の作家は、漱石でさえ特に初期には、困難を認識できず誤った解決策、つまり幻想を抱いていた。批評の「官僚批判」や「社会小説」が日本的幻想の最たるものである。
作品を単に教訓的に読む場合、作品は分析されるのでなく教訓の対立物として現象的に規定されるだけである。官僚批判を行わねばならない対して、官僚批判が不十分である、現実的行動の基盤を発見しなければならないに対して発見していない、一般的に言えば積極的でなければならないに対して積極的でない、となる。このような教訓を垂れる対象は再び教訓の対立物と考えられる対象であり、したがって何の効果も持たない。積極性の説教は積極性の意欲を失った人に対してだけ、垂れる方の自己満足としてだけ意味を持つ。まず文三や哲也を意気地なしと見なし、対立物として意気地なしであってはならないという教訓を引き出す場合、意気地なしだけに、しかも誤って理解された意気地なしに対して使用される。一般に作品を教訓として読むのは、芸術や現実に対する全くの無知を意味している。
彼らの積極性の理解を一層難しくするのは、その特殊な意識形態が彼らの破滅的運命と結びつく点である。彼らの破滅は徹底していることにおいてはじめて積極的であるという本質と現象の対立形態を持っている。
彼らの破滅が徹底した形式をもつのは、彼らが自己否定的精神によって批判精神を制限したまま破滅するからである。この点がロマン主義と異なる。ロマン主義にはこの自己否定的精神がなく逆に自己肯定的になる。作者が主人公の批判精神をすぐれた精神だと前提している。主人公は自分だけが批判者であり、批判意識のゆえに孤立し苦しみ、現実的困難の前に挫折する等々だと考え、無力を自ら時代のせいにすることを社会的批判と考えることにおいて破滅の運命は自己肯定され緩和されている。ロマン主義特有の自己慰藉としての甘い詠歎が生まれる。私には何もできないのだという反省によってできないこと自体を肯定する精神である(7)。
(7)ただ甘ったるいだけのロマン主義など問題になない。この形式でのもっとも良心的形態が国木田独歩であり、極端に俗で反動的なのが森鴎外である。「舞姫」の場合批判の対象が社会でなく出世する自己であるために–この点が自己批判と見誤られている–誤った社会批判からさらに後退して見苦しい自己弁護となっている。漱石は批判的精神の勝利を確信して登場し、その無力に気付くに到ったが、批判精神を放棄したり、無力を嘆くことに満足したりせずに新しい批判意識を獲得すべく最後まで果敢に戦った。この点四迷と同じである。
四迷はこのような甘ったるい自己弁護を排除し冷静に破滅の必然性を描いている。主人公は自分の批判意識が無力であるゆえに破滅する以外にない。無力な形態に止まるのは自分のよるべき現実を発見できていないからである。したがって発見すべきための、準備としての、無力の自覚と批判という精神がこの投階での意識には必要である。ロマン主義は批判意識をもっていることに価値を認める点で批判意識のよるべき現実を発見しようとしているのではなく、発見の困難をいいことに発見の意欲や努力を失っていること、発見の困難な時代に安住する意識形態となる。惨めな状態を惨めだから克服すると考えるのでなく、惨めさ自体を大問題化することによってその惨めさの背後にあり惨めさを規定し惨めさの解決を秘めている必然性を被い隠す反動的な意識である。日本的後進性、惨めさに対応したそれ自身惨めな意識である。
四迷の主人公は、自分の批判意識を前提としており、批判意識を再び意識化(二重化)することなく常に現実性を求めることで批判意識を貫徹し、無力に苦しむことで維持している。お勢を救う方法や小夜子と時子と自分の関係を整理するという現実的課題自身に取り組んでいるのであって、自分の批判意識の価値とか、批判的であること自身に立ちかえることを決して、一瞬も許さない。彼らは自分の意識についてでなく現実的課題を片づけることに集中しているから追い込まれた現実的困難の中で常に緊張しており、無力を感じ、破滅に向かいつつなお批判を維持している。批判意識を肯定することは、現実との対決を回避して主観に舞い戻ることである。現実とのかかわりを離れた上で自己の無力を嘆くのは対立回避の弁護であり自己批判は自己弁護、自己満足である。彼らに時代との衝突による破滅の可能性はない。つまり彼らは破滅したとしても悲劇に値しない。
常識的意識としての批評は文三や哲也が瑣末な批判を瑣末だとして拒否するという、つまり本質的対立以外の対立を認めない非妥協的精神によって破滅していく姿を消極的だとか無力だと批判する。そして自己の没落や無力を歴史や社会の名において肯定し大げさに吹聴する者を歴史の限界による挫折とか悲劇だと評価する。つまり作家も批評も自分が惨めな瑣末な問題に直面させられていることを大問題だとすることで人生問題に取り組んでいる優れたインテリだと誤解し、文三、哲也、四迷のように瑣末事を大問題だと感じない人間を批判意識に欠けると感じるほどに思い上がっているのである。これはまったく逆である。
文三や哲也は感傷にひたるロマン主義者ほど俗ではない。批評から同情されたり誉められたりするような情け無い精神ではない。しかし、彼らの精神はともかくとして彼らが破滅するのは確かである。彼らが現実的解決だけを願っているとしても現実的解決を発見できなかったことは確かである。しかし、この運命自身についても破滅を無力だと考えているのはこの運命の社会的意義を理解できないこと、正しくは社会的という言葉の意味を理解できないことを意味している。
文三や哲也の孤立化や没落が社会的必然であり、この没落が昇や葉山の対立的となる社会的勢力をつくりだす過程であることは「浮雲」でのべた。このことは誰でも知っているように見える。しかし、免職になり気が狂う文三やアル中になって大陸を放浪する哲也が昇に対抗する勢力になるであろうか?彼らは社会からはじき出されただけの、せいぜいルンペンプロレタリアートにすぎない存在ではなかろうか?
社会的必然に対してこのような疑問が少しでも浮かぶとすればその疑問の強さだけ社会的必然に対して無知だと言える。社会的必然に対して偶然を、本質に対して現象を対置しているのであり、本質を現象と同一視している。このような考え方からは、必然的に、現代の我々は彼らの運命を克服することを、彼らのような破滅的運命をたどらないことを心掛けるべきである、それが高い意識であるといったたぐいの教訓が生ずる。ひどい場合はプロレタリア階級だけが真に革命的だとか、階級闘争にこそ展望がある等の無意味な教条さえひっぱりだされる。つまり必然性や本質に全く意識がとどかないからこの種の主観的反省が何か思想的意義を持つかのように考えられ、これが意識の内容、意識のレベルだと考えられる。この場合、意識のレベルは現象形態としての強弱に解消される。批判意議の欠如した人間、批判意識を持つが実践的でない人間、批判意識を持ち展望を持ってドシドシ実践する人間といった具合に。こういう並べ方をすれば、文三や哲也は分析などするまでもなく、ただちに批判意識はあるが不十分とか展望を持たない等々の言葉で量的に規定できる。
ブルジョア批判的リアリズムである明治文学は–日本文学に限らない–プロレタリアートの形成過程の描写など課題にしていない。資本主義が引き継いだ社会的関係の分解過程、すなわち資本主義的再編過程の描写を課題にしており、人物はブルジョアないしプチブルである。あるいは依然ブルジョア思想内部にあり破滅しっつある庶民である。資本主義がひきおこすブルジョア層内部の分解過程を、つまりブルジョアとプロレタリア-卜の分解対立がブルジョア内部に反映する形態を描写するのがブルジョア文学のブルジョア文学たるゆえんである。だからこそ階級対立が拡大するとともに、本質的矛盾を反映しにくい階級となっていき、題材としても、作家の供給源としても力を失うのである。
文三や哲也その他あれこれの人物がどのような運命をたどるか、つまりどのような破滅形態、分解形態を題材にするかは偶然的であり作者の自由である。彼らに常に破滅的孤立化の必然的力が加わっていくこと、他方でその必然の強さだけ、昇や葉山のようにブルジョア化した人物を生み出すこと、その運命自体が資本主義の本質として理解されねばならない。偶然性と必然性を、現象と本質を分離することが重要でありそれが理論的認識である。そして、精神の歴史的発展とは、文三や哲也の破滅という個人的現象から直接教訓を得ることによってでなく、彼らの破滅の連続によって蓄積されている必然を認識し、その必然の発展を正しく認識することによって、現実過程をより深く反映することをいうのである。
この必然の見地からすれば文三や哲也の個人的破滅がどんな形態をとるせよ、その破滅が社会的必然を反映している場合–このような作品だけが天才的である–その必然性の中にプロレタリアートの形成を階級的必然として発見することができる。この必然の発見を、この必然の現象形態としてのプロレタリアート像として発見すること、つまりブルジョアとプロレタリアートの対立をプロレタリア階級内部への反映形態として、ブルジョアリアリズムのように破滅形態による矛盾の発展の反映でなく、成長形態、形成形態による矛盾の発展の反映へと発展する場合、はじめてブルジョア批判的リアリズムの合法的継承者としてのプロレタリア文学が登場する。
文三や哲也は個別的に破滅する以外にない。彼らを破滅の必然と一致させている–本質、必然の現象形態にしている–のは、彼らがブルジョア的に上昇する関係と意識を拒否するかその可能性から拒否されるかによってである。つまり全てのブルジョア的生き方の対立物として破滅するのであるからこの破滅がプロレタリア文学に受け継がれなくてはならない。彼らの前途には、プロレタリア階級内部で形成される、文三や哲也とも違った質的に新しい個性、生き方だけが残されている。破滅の中に新しい質が浮かび上がる。浮かび上がるべく描写されている。したがって、ロシア文学史でゴーリキーが批判的リアリズムを見事に継承している–この継承関係も解明されるには程遠いが–ように、日本ではプロレタリア文学は、四迷、一葉、漱石らの批判的意識の継承としてさらに発展しなければならなかった。ならなかったというのは、現実にはそのような歴史的継承関係は意識されず、四迷、一葉、漱石の対立物としての、彼らが批判していた反動的な自然主義文学を高く評価するという低い意識レベルから出発したからである。
批判的リアリズムの高度の批判精神を継承し、徹底することがプロレタリア性の発見であり、それ以外の方法はありえない。プロレタリア文学の担い手達が批判的リアリズムの内容を理解し得ず、継承しえないなら、それは高度のブルジョア思想に劣る反動的思想に止まることを意味し、祉会科学の言葉を取り入れることや題材をプロレタリアートの世界から採ることでは、すでに批判的リアリズムによって批判されている精神を新しい階級の中に持ち込むだけのことになる。いかに現実にプロレタリアートが形成され、闘士が生まれていても、歴史的な思想の継承なしに、直接的観察や経験だけで新しい形象を発見できるものではない。この点哲学史や経済学史などの理論精神と同じである。文学も、現象形態における本質の発見に他ならないからである。
四迷の主人公の消極性、破滅は、本質の現象形態であり、主人公のすぐれた資質を意味している。彼らを不十分と見なすことは、彼らのすぐれた資質を否定することである、という結論に達する。彼らの生き方に釈然としえないのは、自分が彼らより高い位置におり高い思想を求めているからではなく、文三や哲也ほどに現実的具体的力を獲得しようとしておらず、あるいはすでに持っていると幻想しているから、彼らの苦しみが無益に見え日本史上の困難を理解していないために別の釈然とした形態がありうると夢想しているにすぎないからである。したがって日本史に対する理解力が増し、そのことによって現実との積極的かかわりが強くなるに応じて、文三や哲也を理解し、このような人物像を描写した四迷の才能に「釈然」とし驚嘆するだろう。